このように球の活動から、一つの形体によって数限りない活動が導きだされることを理解されたと思います。現在、教育現場において、教育課題が総花的に、しかも細切れに、様々な学問領域の情報を子どもに注ぎ込もうとしていますが、そこからは原理に向かおうとする姿勢も、思考を統一的に深める作業も生まれません。WM創造共育は形体(特殊)と深く関わることによって、生命原理を直感させるものです。
また、この活動の中で、絵本(文学)の世界や、音や歌や音楽の世界、演劇や身体活動を球体に関連づけて導入することは、さらに広がりのある活動を生みだすことになります。その重要性は創造力の向かうところは関係性(つながり)を広げ、深める一点にあるからです。

原理は万物万象の中に宿っていますが、それを人間にとって一番解りやすい「存在するもの」を通して、「形体」を通して直感していくことが最も合理的なことは自明です。
自己喪失した少年が透明人間に自分をなぞることと、存在を通してものごとの本質を掴んでいく人間の営みとの関係には深い意味が込められています。目的を持って生きる人は、たとえ求めるためにどんなに苦悩があっても、透明人間になることはありません。喜びも悩みも実存する自分が根底にあるからです。
さて、WM創造共育で最も大切な前提は、子どもに「発見と表現の喜び」を与えることから始めなければならないことです。
それによってその時間が生き生きとして楽しくなります。豊かな創造活動がはじまります。この活動の中で子どもの目が輝かなければ、多くの場合、私達の態度に問題があります。
知っておいていただきたいことは、大人より子どもの方がはるかに瑞々しい感性と、はるかに創造的で柔軟な思考を有していることです。
無い人間が有る人間を指導することはできません。添うしかありません。

ただ、子どもは情報量が大人に較べて少ししかありません。様々な体験をさせるには様々な情報を与える必要があります。環境を用意する意味はそこにあります。環境設定は広義の情報提供です。それは決して分離され、孤立した知識ではなく、創造活動に導くための情報です。そのために私達は「環境づくり」に全智全能を駆使する必要があります。
それは「つながりのある活動を保障する環境」であり、「新鮮な環境」であり、「答えが多様に生みだせる環境」であり、「命令、干渉、管理を必要としない環境」です。ここでの「環境」は保育内容や教育課題を含めた人的・物的環境を指します。
20世紀までの人類の教育の第一義は国家の行政・経済をとどこおりなく運営するために必要な職能(読み・書き・そろばん)を促成栽培することでした。それが国をおさめ動かすために必要であったからです。しかし、私達は国に従属して生きるわけではありません。国家は国民の生命と生活を安全で安心できるものとするために存在します。たった一度の人生を謳歌できること以上に大切なことはありません。
人間が月に旅する時代です。人間らしく生き生きと創造的に暮らせる世の中にしたいものです。それによって人間の職能が低下するわけではありません。どんな仕事でも創造的に取り組むわけですから、効率は高まり、質的な向上につながります。

愛を説く宗教が戦争の火種をつくる。飽食の限りをつくす国が一方にあり、餓死する国が対極にある。正義は権力を手に入れると失墜し、富を得ると心貧しくなる。アガペーもエロスも愛という名で混同する。どう考えてもこれまで人類の歩んできた道は狂気と背中合わせに発展してきたとしか思えません。富と権力によって自由を獲得できると錯覚させる社会の仕組みがあったからです。
しかし、これからはすべての人間がまわりの人々の愛によって自己肯定感を持つことができ、それを原動力にして創造力を発揮し、「自己責任を内包した自由」「秩序を内包した自由」を享受する時代にしなければなりません。
WM創造共育はそのために誕生しました。
存在するものはすべて形体を有しています。
人間の思考は対象の中に関係性を読みとり、これを表現しようとします。みたて遊びを始めるのは1.5歳前後からですが、この時、1個の立方体を家にみたてることはすでに関係づける能力が身についていることを示しています。これはいろいろな家屋の形があっても、つきつめれば壁面と屋根によって構成されていることを直感しているから立方体と関係づけられるのです。
あらゆる形体は球と円柱(紡錘体)と立方体でつくられています。
ひとつの形体を通して、創造活動を展開していくことはその形体を多様化していくことですが、それはその形体から生み出せる可能性を発見することであり、また、他の様々なものごとに関係づけていくことでもあります。
そこで多様化の筋道を、球を例にとって述べてみます。